「夏で鬱で美少年」サンプル

税務署から届いた手紙の封は切ることができなかった。
役所から郵便物が届く、これは精神衛生上非常に良くない。嫌な被害妄想で頭がいっぱいになる。中の書類には一切目を通さずにいるから書かれている内容については分からないけれど、税金やら様々な社会保険料やらの滞納を重ねている私のもとに素敵なお知らせなんて届く筈もない。おおよそのところ、これらの郵便物に記されているのは、お前は人間のクズだと罵るような内容に違いなかった。それはたとえば、こんな文面で。
「親愛なる世田谷区民Aさま
ハロー、納税もできない社会のゴミ。
今日ものうのうと暮らしていらっしゃいますか。良いご身分です。
この度は、支払いの遅れている税金について注意・勧告の旨をお伝えするためにお手紙を送らせていただきました。
国民の義務も果たさず、洋服やメイクなどの装飾品および酒やタバコなどの嗜好品にお金をかけるような生活をしていて、あなたは恥ずかしくないのでしょうか。ラブホテルのご休憩代を払う余裕があるのなら、滞納している住民税を早く納めていただきたいものです。
このお手紙の切手や便箋もタダではないのですよ。骨身を惜しまず働き、血税を納めているまっとうな人たちに足を向けて眠ることのないようにしてくださいませ。
あなたが一刻も早く健全な社会人生活を送られることを切に願っております。
LOVE.世田谷税務署」
ごもっともだ。はよ終われ、私の人生。

焦燥と鬱屈にまみれた夜が明けて、希望のない朝が来る。いつだって死にたいと思いながら生きている、それだけを思って毎日を過ごしている。
枕元の携帯電話で時刻を確認すると、もう正午に近かった。そろそろ起きなければいけない。「館」には夕方に新規のお客さんからの予約が入っていた。
昨日受け取った税務署からの手紙は、そのまま引き出しの奥に突っ込んである。未開封の郵便物はいくつも重なっていた。税務署と健康保険組合、年金事務所、友達から届いた結婚式の招待状。すべて、私にあてられた脅迫状だった。
秀美からは先週、催促の電話が来た。高校のときに親友だった彼女はこの秋に結婚式を挙げる。
税金の催促よりはマシか、と思って久しぶりにかかってきた電話に出て、式への出席の旨を告げたあと、冗談めかした調子で招待状の封も切っていなかったことを正直に伝えると、秀美は「えーちゃんは昔からいっつもそうだよね」と、ため息を吐いた。
高校の時には私と同じ遅刻の常習犯で、提出物にもルーズ、教師から怒られてもとんちんかんな受け答えばかりして余計に相手をイラつかさせていた彼女も、結婚を決めた今ではすっかり変わってしまったようだった。過去の自分を棚に上げた秀美の発言からは、ろくでなしの同類だった私との隔たりと、哀れむべき者への微かな憐憫さえ感じられた。
電話を切った後、結婚式に出たって金をとられることに変わりはないと気付き、余計に気分がむしゃくしゃした。
秀美の結婚は正直ショックだった。以前付き合っていた彼氏と別れて私に泣きながら電話をよこしたのはついこの間に思えるが、あれから時間はもう随分と経ってしまったようだ。その間にあちらには新しい出会いが訪れ、愛が育まれ、「更生」までしたのに、こちらは何も変わらないままでいる。私は今二十七歳で、結婚の予定もない。
むかしからの友達はみんな、最近ばかみたいに結婚していく。しあわせの最中にいる女友達に「ばか」だなんて暴言を浴びせるのも忍びないけれど、彼女たちがめちゃくちゃだった時代を知っている私からすれば、本当にばかみたいな、与太じみた、稀代の詐欺事件の連続だ。

ベッドから這い出してリビングのテレビをつけると昼のバラエティ番組ではちょうど、クイズのコーナーが始まるところだった。今日のテーマは「難読名字」、らしい。漢検1級を保持しているという出題者役のタレントが「小鳥遊」と書かれたパネルを掲げた。解答者役のタレントたちは頭におもりでも入れられたみたいに大袈裟に首を傾げている。
「小鳥遊」は「たかなし」と読む、のだという。天敵の鷹がいないと小鳥が安心して遊べることに由来するトンチのきいた当て字だと解説した漢検1級の言葉に、女性タレントがよく訓練されたオーバーリアクションをとる。バラエティ番組で頻繁に見かける彼女の大造りな動作を見るたび、私は胃をせっつかれるような気持ちになった。
漢検1級は「栗花落」と書かれたパネルを掲げた。解答者たちの頭に再びおもりが入れられる。
クイズの解答者側には、私に胃痛を生じさせる女性タレントの他、若手のお笑いトリオ、それから大所帯の少年アイドルグループがいた。彼らは目下売り出し中らしく何度もテレビで見掛けてはいるが、ひとりひとりの個人名までは覚えていなかった。
学生時代なら興味がなくてもデビューしたばかりのアイドルの名前くらいは自然に覚えていたものだけど、今ではさっぱり分からない。私くらいの年齢になれば特別にファンでもない限り興味も持たないのが普通なんじゃないだろうか。
むしろ、それなりの年なのにも関わらず彼らに興味津々という方が特殊だ。そんな女も世の中にいることはいるようだけれど、私にはまったく理解ができない。彼女たちは、画面の向こう側にいる少年たちに一体何を見ているのだろう。付き合ってみたいだとか、抱かれてみたいだとか考えるのだろうか。
ひな壇の前列と後列に三人ずつ別れて座っているアイドルの少年たちは、全員が学生服風のブレザーを着ていた。アップでカメラに映される回数の多い前列のメンバーには、グループの中でもより若そうな少年たちが集められている。その三人はまだ高校生にもなっていなそうだった。
左端の黒髪の男の子が、ことりちゃんに似ているなと思った。真ん中にいる髪の色の明るい男の子は、翼君。キツイ印象の吊り目は、笑うと綺麗な三日月になる。その笑顔の感じがどことなく似ている。右端に腰掛ける色白の少年は、千代(ちよ)だ。唇を少し突き出すふてくされたような表情がそっくり。
「栗花落」は「つゆり」と読む、らしい。これは岐阜県の方言で、栗の花が落ちる頃に梅雨入りすることからの当て字だと、漢検1級の解説が入った。女性タレントはめいっぱいに広げた口から感心したような声を発し、首を縦に何度も振る。この問題に対する視聴者の関心をすべて集めても彼女ひとりのリアクションには及ばないように思えた。
前列の少年たちの顔が再びアップになる。よく見てみれば、私の知っている少年は誰も、この三人のアイドルには似ていないような気がした。ミルクプリンみたいにつやつやの肌、ドレンチェリーの透明感を持った唇、ただそこにいるだけでまわりを楽しい気分にしてくれるジェリー・ビーンズみたいにキュートでカラフルな存在感。こんな風に恵まれた容姿の少年とそう簡単に出会えるわけがない。近づいたら甘い香りで気絶しそうだ。キラキラし過ぎてウザい。

玄関から一歩外に出ると、クーラーで冷え切ったつま先に熱気が絡みついてきた。夏の空気は蛇だ。それはあっという間にサンダルを這い上がって、スカートの中や下着の間にまでまとわりつく。冷えた身体が外気に触れた一瞬は心地良いけれど、そのあとは湿っただるさがずっとまとわりついて離れない。
先週に梅雨明け宣言がされて以来、蒸し暑い日が続いていた。蒸気になった水分は頭蓋骨の隙間に入り込み、私の脳漿を少しずつ溶かし始める。むず痒い苛立ちに叫び出してしまいたくなる。この衝動のままにいっそパンクバンドでも組んで、凶暴にあばれてしまいたい。楽器も弾けないし音楽のことなんてまるでわからないけれど、このやるせない怒りを解消するにはもうパンクバンドでもやるしかないような気がした。パンクで世界に飛び出して片っ端からファンを食いまくりビッグマネーを掴んでやる! そんな気分だ。

「脳漿淵(のうしょうぶち) 負子(まけこ)」
暑さとわけのわからない興奮とで溶解していく私の脳漿にそんな単語が突然浮かび上がる。言葉は粘性を帯びた液体が垂れるようにかたちを変えていき、私の頭の中で文字から人の姿になる。脳漿淵負子は私の頭の中で生まれた女の名前だ。
髪が長くて、唇の血色が悪い。紺色のワンピースの下につけているブラジャーは、レース模様のベージュ。パンツは黒でナイロン製だ。上下がお揃いになることは殆どない。誰にも下着を見せる予定がないから、服に響かず汚れが目立たない色をチョイスしている。声はハスキーで、ぼそぼそと喋り、食事中によく食べ物をこぼす。彼女は人前で血色の悪い唇をあまり開かない。大口を開けることがはしたないと思っているし、前歯がタバコのヤニで汚れていることがコンプレックスでもある。彼女は暗いOLだ。
脳漿淵負子が豹変するのは、毎月第三土曜の夜。ビールをこぼしてシミだらけのTシャツを薄い身体にまとい、高円寺の小さなライブハウスに立つ夜。ヴォーカルを務めるパンクバンド「SoU・UtZ」(この表記は「ソウ・ウッツ」と読む。)で厭世と憎悪を歌う女の中に人畜無害なOLの姿は見えない。引っ込み思案な性格の所為で普段は小声なハスキーボイスも、この夜だけは野性味溢れる魅力を発揮する。ステージに登場して早々彼女は叫び声を上げ客席に豚の脳漿をブチ撒く。バンドは爆音で演奏を始める。曲は……。
私は彼女が観客を煽った責任をとって、その作詞・作曲を始めた。

「脳漿淵負子のうた」

脳漿淵負子
脳漿淵負子
脳漿淵負子

脳漿ブチ撒けて終わりたい人生を
今日も生きる
死にたいだけで今日も生きる

脳漿淵負子
脳漿淵負子
脳漿淵負子

NO! SHOU! BUCHI! MAKE!
ブチ撒け ブチ撒け
脳漿ブチ撒け!

新宿御苑前の駅に電車が滑り込む頃、「脳漿淵負子のうた」のメロディがやっと定まる。最低の曲だ。歌詞もメロディもセンスも最悪。こんなんじゃ世界なんて狙えない。ファンも抱けない。ビッグマネーだ? 聞いてあきれる。最低だ最低、最低の曲だ、そんな風に思いながら自作の歌を小声で口ずさみ、大木戸門口を出て「館」まで行く道を歩いた。
今年の春から私は、この駅に程近いマンションの一室で商売を始めていた。今は、そこに来るお客さんを相手に一人で仕事をして生計を立てている。その仕事場のことを私は「館」と名付けていた。大仰な呼び名だけれど、実態はバブル期に立てられた古い賃貸マンションのワンルーム。こんなこじんまりした場所を「館」だなんて呼ぶのは本当は少し気恥ずかしい。だけど、このネーミングは私のセンスというよりも、業界の不文律なのだから仕方がない。

館のドアを開けると、この季節にはとうに落ちてしまっている筈の栗の花が咲いていた。
おそらく、昨日捨てて帰ったコンドームの所為だろう。精液は栗の花の香りに似ているという。その花の香りを実際に嗅いだことはないけれど、飲み会の席とベッドの上でしか通じない下世話な知識はなぜか自然と脳に蓄積されていく。
千代とは昨日初めてセックスした。
十五歳の少年は、昨日の行為が人生で三度目だと私に教えてくれた。相手が厭うことさえなければ、私はこれから何度も彼と重ねていくだろう。栗の花の香りを嗅いで、私は少年の身体を思い出す。なめらかな白い肌の質感が蘇る。
ダストボックスの中を探って、いくつか捨ててあったラテックス製のゴミの一つを取り出した。縛ってある口をほどき、中に溜まっていた精液を手の平の上に広げる。粘液は光源のようにつややかな輝きを放っていた。
「可愛い千代ちゃん」
舌を丸めて精液をすくいとると、口内を針の先で微かにくすぐられるような刺激が走った。まだ生きている精子が私の舌の上を泳いだのかもしれない。

 

(続きは書籍にてお楽しみ下さい)

 

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